う〜む

仕事に時間を取られてしまう。結局、ひとのために生きているからこうなってしまう。相手に気に入られることを人生の目的にしてしまうから、こうなる。

それと自分の人生を生きてゆくことは別ものだ。ほんとうに時間は限られているので、それを一人で扱うには心がしんどい。

今はどうにもこうにもならない。それは感じているけど、動きようがない。ここをちょっとだけ動かすことができたら、どうなるだろう?と感じる。

ここで書くことをやめることもできる。が、それはしない。

どこを動かすのだろう?どこが固いのだろう。仕事を人に気に入られるということにして定義してしまうからなのだろうか。やるべきことはあるけれど、まず第一を自分の時間に置くことが一歩なのかもしれない。

と、ここで気づくのが自分の時間というものがない。つくれていないという意味で。自分の時間にやりたいことがない。寝るくらい。それはつかれているだけだ。人との関係で自分を満たそうとするから、はまるのか。

時間について

さっさとやろうとすると時間は風のように過ぎてゆく。ゆっくりやると、時間はあまる。ゆっくりやることに苛立つ人もいるけれど、自分の好みを人に押し付けるのはやめてくれ。要は結果が全てだから。終わればいいし、どうにかなればいい。

どうやって自分で自由に仕事するかがキーポイント。仕事か〜。やりたくはないよね、本音では。なんもやらなくていいなら、そうする。スペースと時間は似ていて、十分にあることが快適さを生み出す。

 

なんも感じない

それは疲れているのかもしれないけれど、本心なのかもしれない。なんも心動きたくないっていうことが大切でさ。わかった風なこと書くのが流行りでもないし。

明日も何すっかな。人生仕事以外にやることないと困るね。好きなことやっていいんだよ、自分の時間とお金でさ。他人との関係性を持ち込もうとするとむずかしいんだろう。

なので、ひとりでできることが良い。

心が動くこと

最近、心が動くことがない。わるいこともないけれど、いいこともない。ない、というのは感じられない、ということを意味している。

好きなものをあげることがむずかしくなっている。新しい小説を読むだけでワクワクした心が今では石のようになってしまった。仕事だけはとにかく出来るようにしてみた結果なのかもしれない。それに特化し過ぎてしまったのだろうか?

やるべきことをやり過ぎた結果、何かがなくなってしまった。

たぶん、こういうときはイヤなことをやらないってところから出発できないのかもしれない。あとは思いきりだれるかだ。荒療治は意外と効果がない。

こわい

こわい。こわいと感じる。何がこわいのかが分からない。ただ感情は沸き起こってくる。距離も取りたくなる。いいことなのかもしれない、とも言いたくはない。ただ、こわいのを克服したいのかと言えば、そうではない。こわいものはこわいから、それはそれでいい。こわいのがわるいとしてしまっても仕方のないこと。

こわいは人に対して感じること。助けてはくれない、ということ。そう感じる。

あれは特別で、特別だからなのか、助けてくれないと感じる。そのときに余計に絶望を感じる。逃げたいというより、避けたい。避けたいのは1人でドツボにハマる状況なのだけれど、引き起こすであろう人との関わりを避ける。それ自体はいい。自分をまもろうとしているだけだし。1人でドツボにはまるのであれば、ただただ大変になるだけだから。

もし、この自分が避けたいことをうまく避けられる別の方法があればアプローチというものは変わるのかもしれない。助けて、と言ってちゃんと助けて貰えたらいいけれど、そういう経験はほとんどないので、やはり身構えてしまう。自分の価値など認めてはくれないとも思う。付属するものには価値を見出してくれるかもしれない。そうすると、付属品に自分は絶対勝てないし、付属品を供給するだけの役割になる。それはもう人ではないので、気が滅入る。

考え中

これはこれでいいのだろうけれど、どうやるかとか、いつやるかとかの方が重要。だからなんも考えないくらいがちょうどいいんだよ、きっと。

自分はそれなりって示したい場合にはパフォーマンスとして考えることは必要だけれどね。