今日は少し持てた気がする。何だかやることやってしまう方がいいのだとは思う。そして、一つ一つやることを記録してゆくべきなのだ。その方が分かりやすかったりする。
2010年8月ごろ
この頃、体調がとにかくわるくて毎日きつかった。ものを考えられないくらいにキツかった。ときどきパニックにもなった。単純にお金がなくなってきたからで、どうしていいか分からなかったからだ。
具体的な日は不明だけれど、どうにか会社を辞めることができた。
そして、少しだけ楽になって、ついに携帯電話の電源を入れて新しく機種変した。のんびりしていた暮らしから、スマホの走りにのっかった。実際に買ったのはSAMSUNGのWindows Mobileで少し時代おくれではあるけれど、物理キーボードが魅力的だった。この頃は三ヶ月前に比べると身体が動けるようにはなっていたのだと思う。冒頭と矛盾してしまうけれど、そういう感覚だったのだ。夜に散歩したりした。
スマホはちょっとしたPCみたいで、使っていて面白かった。とにかく色々なデータを詰めこもうとした。全部を持ち歩きたい感覚があった。不安だったのだと思う。ほどほどということがうまく体現できない時期だった。
2010年5月ごろ
DVDも観るものがなくなっていき、ガンダムとかを観ていた。iPod Classicをこの頃は愛用していてそこに沢山の曲とビデオを詰め込んだ。もちろんだけれど、OasisとBeatlesばかり聴いていた。音楽の幅を広げることもしてこなかったからだ。
日本語が読めなくなってきて、なぜか英語に走った記憶がある。Time誌の世界の重要人物の18位くらいにテイラー・スウィフトが居てギターを抱えていた。レディ・ガガの方が順位は上だったけれど気になったのはテイラー・スウィフトだった。Time誌は買わずにEconomistを買った。それで読んでみたけど、ほんの少ししか頭に入ってこなかった。
テイラー・スウィフトを聴くようになるのはもっと後のことで、iPod Suffleがこわれて、Walkmanを買った後のことだ。音にこだわる時期がやってきてそこではWalkmanとの蜜月のような時期だった。
2010年4月ごろ
3月はあっという間に過ぎてしまい、4月になった。やることはDVDを観ることくらいでただただ観ていた。ERも観たけれど心には入ってこなかった。
この頃、携帯は電源を切りまったく連絡を取らなかったし取れなかった。自分を保つことが精一杯でそれ以外は何も出来なかった。これは9月くらいまでは続いたと思う。
朝起きることも出来なかった。そうする必要もなかった。食事は摂っていた。今になって恥ずかしく思うのは両親も一緒に居たのだけれど、自分のことで精一杯でどうやって一緒に居たのか思い出せないことだ。もう少しうまく視野を広げておきたかったと後悔してしまう。
スポーツクラブにも通うようになるのだけれど、それがこの頃のことかもう少し後なのかは覚えていない。あとは村上春樹の1Q84を読んだ記憶もある。とは言え、日本語を読む力が著しく落ちていてまともにものを考えることが出来なかった時期だった。
2010年3月ごろ
このくらいのときに仕事に行けなくなり、すべてを投げ出して実家に戻った。大阪の知り合いのところに逃げてしまおうかと思ったけれど、力尽きてて無理だった。仕事では迷惑かけたが、今でも色々言われたことには腹が立つと言えば腹が立つ。
このほんの少しだけ前に祖母が他界した。詳しくは覚えていないけれど、納棺したときのことだけは覚えている。
実家に戻ってやったことはまずはルパン三世の映画をひたすら観ることだった。何日も続けて観た。けっこうな本数があったのだが休みなく観続けた。隙間をつくりたくなかったのだと思う。
ルパンに飽きてしまうと、つぎはThe OCを観た。近所のレンタルビデオ店でDVDを一度に7本くらい借りた。それを1日で観てしまうくらだった。うまくいかないことが多いストーリーの作品が癒してくれた。自分の心境に近かったのだろうと思う。レンタルビデオ店の会員カードつくることに苦労した。