解決とは
気づいていない方向からやってくるものだ。それに気づくことが一番重要だったりする。
常に思い込みのゴールだけにとらわれないことが大切である。
転職をあおる人は
じゃあいつまで会社で働けばいいのかってことになると答えもなくて、単に自分のやっている人を売る事業を正当化しているだけだと思う。
人のことなんて考えてない人の方が、ちゃんとした考えを持っているかのように見えてしまう人が居るなら、それは残念でしかないよね。
仕事はなぁ
やりたくないけど、後任が居ないという理由で引き止めるのはどうかと思う。
仕事で関わる人は少なくしたい
仕事をたくさんして、成果を出せば出すほど外からの要求があがってくる。いろいろ相談されても、相談自体がアホなことが多いのだけれど、アホな相談をする方はこちらに解決を求めてくるので、上位に立ったような錯覚で接してくる。
そんなのに付き合ってやる義理などないので、絶対に返事などもしない。返事がない場合には、返事されない程度のお願いや依頼の仕方しかできていないだけだ。けれど、それにほとんど気づかないので、いかにもこちらがワルモノになる。
なので、もう仕事で人と関わることを極力少なくしてゆく。
2010年6月ごろ
あの頃は、居場所を探していた。長く安全に居られる場所。それでいて1人ではない場所。そんな場所はお金を払うことでしか手に入らない。今でも安全な場所は欲しいと思うけれど。
iPodにラジオを詰め込んで外に出ていた。完全な1人にはなれなかった。それでも、とにかく1人でどうにかしていた。深いところで寄り添ってもらうことはなかった。
サッカーのW杯をやっていて、ちょこちょこ観ていた。楽しかったのかは覚えていない。ハイライトとしては覚えている。それでも、試合全体を覚えてはいない。緊張感とともにあの90分を叩き込む感覚はなくなっていた。途切れ途切れにしかものごとを感じられなくなっていた。
居場所の話。
いくつか候補はあった。そもそも何故に居場所を求めていたのだろうか。淋しかったから、気分転換をしたかったから、はっきりはしない。今になって考えると、集中したかったのだと思う。自分で向き合うために集中することが必要だった。近所のイオンのサンマルクやスターバックス、そういう場所を必要としていた。要は集中して何かをやる場所を求めていたのだ。
集中して何をしたかったのか?文章をとりわけ小説を書きたかった。何者かになりたかったし、その方法がわからなかった。
たまのジムのプールで泳いだりなどして、どうにか生きていたんだと思う。身体を動かすのもつらい時期だったけれど、暇で色々できたので、あの頃のことが一番身体に残っている。いつかもう一度あの時間を取り戻したいと思う。そう願う。