何となく

分かった気がするのだが、きれいな女性が好きで、それをそのまま表現したいのだ。世間体とか、絞らないと価値ないよ、とかいろいろな雑音に自分の行動を制限され過ぎていたのだと思う。

 

誰に何と言われようとも、人としてダメだろうとも、やりたいようにやってみなきゃダメだ。周りの人に烙印を押されるよりも、使うべきエネルギーが余ってしまい、自分で自分に烙印を押してしまう方がキツいんだから。

 

人はこちらの人生に責任とってくれない。一ミリ足りとも。だから、自分のために生きることが重要なんだよ。

キツい

エッジを越えるところにきていて、キツい。無感覚に近いきつさが自分をおおっていて、無力だ。

 

たぶん、誰かと居たいけれど、誰も自分とは居たくはないようだ。便利な自分には価値があるのだろうと思う。それもつらいなぁと思う。

 

なので、次のステージにいく。準備は進んでいる。

はやく

自分のままでいたい。息苦しいんだ、ここは。それに今までまったく気づかずにいた。それが一番のもんだいだったのだ。今はそれにきがつく。これが進歩だ。確実に進歩している。

 

よかったなぁと思う。

つれづれと

書くべきことを書いてみる。ああ、華やかな世界いちばん落ち着くなぁ。それ以外は落ち着かないよ。

 

きっと、ラグジュアリーというのは、何かを大切にすることなのだと思う。

 

テレビって押し付けがましくてキライだ。何様かといつも思う。テレビを観ないという選択を許して欲しいよなぁ。そうでないと窮屈で生きてゆけないよ。

 

服を買いたい。きれいな服をさ。それが重要なことだよ。

自分が

あまりまくっている。不便だなぁ。誰もいないし、一人だから気楽なはずなのに、あまってしまうと逆に自分にエネルギーが向かってしまう。

これだけのエネルギーを捨てまくるなんて、とてもじゃないけれど見ていられない。そこに絶望が出てきてしまう。途方もない絶望。

誰かと通じ合いたいのだとは思う。