自分で思うのだけれど、つまらないことしか書けないと思う。広がりがないのだ。
仕事も一応しているけれど、どこかで何もやっていないようにも感じる。もっと好きなものを増やしてみたい。
インセプションをAmazonプライムで観直したけれど、ふつうだった。そこに何の不満があるのかと言えば、きっともっと深く考えたいのだろうけど、どこか届かないところに苛立ちを感じるのだろう。それでも何も書かないよりはマシかもしれないと思った。
自分で思うのだけれど、つまらないことしか書けないと思う。広がりがないのだ。
仕事も一応しているけれど、どこかで何もやっていないようにも感じる。もっと好きなものを増やしてみたい。
インセプションをAmazonプライムで観直したけれど、ふつうだった。そこに何の不満があるのかと言えば、きっともっと深く考えたいのだろうけど、どこか届かないところに苛立ちを感じるのだろう。それでも何も書かないよりはマシかもしれないと思った。
最適化することで、色々な可能性が奪われてゆく。最適化してしまうことで、現在の延長の未来しか生きられない。
未来から呼ばれるくらいでないと、未来とは言えない。最適化とは、自分を環境に譲り渡してしまうことなのだと思う。
アリアナ・グランデのコンサートの悲劇の後のコールドプレイがDon't look back in angerを歌って、そこにはノエルはいなかった。
けれど、あの曲をみんなが歌えるようになったのはあいも変わらずライブで繰り返してきたからだし、そのたびにOasisファンが全力で歌い続けてきたからなのだと思う。そういうところまで1つの曲が辿りつくというのは奇跡的なことだし、奇跡的瞬間にしか曲はみんなのものにはならない。
なので、OasisとOasisファンが世界中でDon't look back in anger を歌い続けてきたことには意味があったのだと思う。もちろん本人たちは好きで歌っていたので、世界のことなんかその時はどこかにいってたのだと思うけど。大義名分よりも自分の感情を大切にしたからよかったんだ。
そういうことだよ。
最近、アメリカが遠く感じる。アメリカの小説を読んだり、映画を観たりしても、作為的なものを感じてしまう。ある種のピュアさをダイレクトに感じることができなくなってしまった。
これっていったいどういうことなのだろう。
SNS時代であらゆるものの距離がちかくなり、うまく付き合えていないのかもしれない。もしくは、自分の中での距離を測る装置のセンサーが壊れてしまったのかもしれない。
エンターテイメントをダイレクトに感じることができないのは、少し寂しい。あこがれのようなものが希薄になっている気もする。でも、実際にはもっと深い構造的な理由がありそうな気配もある。わかってはいるけれど、それについて深く考えようとすると、ぼやけてしまうようにアタマがプログラミングされている。ああ〜つまらん。
アナ・ウインターをイギリス大使にっていう噂が出たみたいだけど、結局それはアナのスポークスマンから正式に否定されたみたい。
トランプさんは何やるか分からないけれど、アナ様は、アナ様のままでいいんだろうな、思う。
いっつも、やればやるほどうまくいかないのを解消したくて、この「努力逆転の法則」にはまるけど、どういう力学が働いているか分からなかった。
でも、やっと分かった。
起きて欲しくないことを意志の力で回避しようすると、起きて欲しくないことの方ばかり考えてしまい、そっちの引っ張られてしまうからだ。
例えばでこんな感じ。
ー遅刻したくない:妄想
ー早く家をでる:意思
意思を頑張ろうとするけれど、裏では妄想ばかり考えている。人は考えている量の多い方を結果として出してしまうので、ここでは妄想が勝ってしまう。
じゃあ、どうすればいいかと言うと、妄想をとことん味わってしまう。妄想を感じている自分を受けとめる。そうすると妄想は扱えるので勝手に大きくならないので、努力逆転の法則は起こらない。
そんなところ。